2010/11/15

おじの置き土産

私の育った家は、良くも悪くも両親が放任主義だったせいか
「これやっちゃだめです。」
と、私が成長していくときの壁となって立ちはだかるということがなかった。
いや、正確には
立ちはだかるというよりは、
自分たちのマインドの中に私の姿をはめ込んでいるので
会話が成立しなかった。だから、結果的にお互い放任。

それはそれで、のびのび成長していけるので
いいんじゃないの?って単純に思えますが
そうでもないんですね。これが。

やはり、上から押さえつけられたり、
乗り越えるべき壁があったりしたほうが
人として、しっかりと身につけるチカラを身につけて
自力で大きくジャンプ!したり、
一歩一歩着実に歩みを進めていくチカラが育つ。

こういう経験は、精神力や意志の力が強まるんだと思う。

だから、
くやしい~!とじだんだ踏むってのは、大事な経験なんだと思う。


うちの場合は、両親は壁になりえない人たちだったが
代わりに、おじがその役割を果たしてくれた。
または、
社会人となったときには、会社の上司や先輩方が
時には、心優しいお客様が鍛えてくださることもあった。


さて、おじですが

ワタシとは、価値観がまったくもって違うこと甚だしい。
生き方、生活スタイル、人とのかかわり方、家族との関係性などなど

住まい方から、食べモノのセレクトやらいろいろね。

でも、一番私がくやしい~、と感じたのは

今の仕事につながる勉強を始めたころ。
まだ本当に初期。ハーブやアロマの勉強をかなり勢いよくしていたころ。

おじから電話がかかってきて
「そんなことやって、何になるんだ!」
と、頭ごなしに言われたとき。

たしかに、おじさんの家は、植物が生き生きと育つ家ではなく、
また、
時間をかけて何かゆっくりと、ゆったりと
心や体の言い分を聴きながら暮らす住まいでもなく

私のやり始めたことは、とても奇妙に感じられたかもしれないね。

病気になったら、お薬をのめばいい。というおじさん。
私は、病気になったら、その症状を観察して、
お医者にも行くけれど、基本的には寝て治す。自然治癒力とともにある。
植物は、人をサポートしてくれる自然からの恵み。

そのかわり、おじさんは
経済のことや、お金の回し方にはとても詳しい。
私はそのへんは、あんまり得意じゃないから
きっと私も
「そんなことやって、何になるんですか!」って
ずっと心の中で思っていたんだろう。
思いながら、行動には思いっきりだすが、口には出さない。
おじさんがそんな私をどんな風に思っていたかはわからないけれど
きっと、自分の言うことを聞かない姪っ子だと思っていたかもしれないね。


こないだ、おじさんが病気で亡くなった。

ずっと西洋医学のお世話になって、そのまま亡くなった。
西洋医学の素晴らしさを私は十分に理解もしているが
死にゆく人に向けて、いったい何ができるのか?
ということは、おじのご家族の方々とも話が合った。

いのちを前にしたら、もはや、
どんな治療的アプローチでも関係ないなあ・・・って思った。
すべての治療的アプローチ、緩和ケア、死生観、人生への幕引き・・・
そんなことがみんなまるまる必要で、
それを選ぶのは死にゆくご本人なのだということが
「あー。」って腑に落ちた感じがした。

おじさんの息子さんや娘さんとも、いろいろ話した。

「本人らしさ」を何よりも一番に考えて
すべてのことを決めていったと言っていた。


「本人らしい」治療。「本人らしい」ケア。「本人らしい」最期。


ちょっとおじさんのことを見直した。


亡くなった夜、おじさんに会いにご自宅へいったら
おじさんの弟さんという方と会うことができた。

電磁波の人体への影響について研究・啓もう活動をされている方で
ご自身の信じる道を進んでいる感じがして
ワタシ的には、おもしろい人に出会えちゃった!と思った。

なんだ、おじさん、
こんなおもしろい弟さんがいらしたなんて。
私のやっていることとも、少し関係もあるしさー。


今までずっと、少し苦手だったおじさんだったけど
「そんなことやってて、何になるんだ!」なんて言われて
かなりムっとしたけれど、

最期の最期に、素敵な人と出会わせてくれた。

私の、いい悪いの判断なんて
もしかしたらちっちゃいことなのかもしれない。

いやだなー、と思っているとこに
あえて入っていくことでしか手にできない素敵なこともある。
扉はちっちゃく、門番も苦手な奴。だけど・・・。
中に入ると、そこにしかない宝物がある。


祭壇のおじさんの写真は
ただの、人のいいおじさんになっていて

人って不思議。

まだ、四十九日すぎてないからね、
まだそのへんにいるんだろうけど
ほんとうに、今まで壁になってくれてありがとう。

そして、
私のやり方だけが正しいように錯覚してしまうことも
死にゆく姿を見せてくれることで
「人生は、そのひとのものだ」ということを教えてくれたことに
感謝して、ご冥福をお祈りします。

だから、
今でも思い出すのは
「そんなことやって何になるんだ?」っていう言葉なんだけど
当時の、険のある言い方ではなくて
もっと優しい、私の言いたいことを引き出してくれるような言い方。

今回の私のやりたいことのコンセプトと
ダイレクトにつながる問いかけに変容した。
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